優等生のふらふら人生録

人生色々あるから、語りたいことも一貫性ないのが悩みなブログ

バリキャリ系海外駐在妻のプチ自慢、そして思い

今週のお題「デスクまわり」

駐妻として得るものが、美意識以上であるように

今の自分が「駐在妻」とラベル付けさせること、そのアイデンティティの持ち方には、少なからず思うところはある。外資系戦略コンサルでがっつりキャリアを積んできたわけだし(お陰でメンタルやられて休職中)。が、しかし。駐在妻であるからこそ享受できる価値はたくさんあって、それとこれとは話が違うのだ、本当に。例えばそれは、私専用のドレッサー。ささやかな自慢と、けれど募る思いを聞いてほしい!

(参考)海外駐在の当人である夫との出逢いはマッチングアプリ

 

”駐妻”と呼ぶらしい

「駐妻」って言葉があるのだけれど、これはつまり、「海外に駐在(赴任)している男性に帯同して、一緒に暮らしている妻」。そして、ビザの関係、夫側の会社の規則、子どもの年齢、言語や立地問題による職のなさ、などの理由で、これらの駐妻は専業主婦になるケースがとても多い。

 

私は今、駐妻だ。渡航してきた当初は、日本の会社に所属したままリモートワークを継続していたのだけれど、休職に入ったことにより就労ビザから夫の家族ビザに切り替えたから、正真正銘、駐妻になった。駐妻やその子どもたちが享受できるものって、ほとんどの場合、ものすごく立派だ。

 

日本からわざわざ、家族を帯同させてでも海外に人を送りたい会社は、やっぱりその需要と担う責任がどちらも大きいから、充実した福利厚生というのか利を提供する。引っ越しや帰国にかかるコストだけじゃなくて、駐在中の住居費、医療費、教育費などを継続的に負担するのに加えて、特別手当てを出してくれたり。私の場合も、私の休職前でさえ、入居している”サービスアパートメント”の費用は全て夫の会社持ち。東京では安くて狭い一室で夫とゴキブリと密に暮らしていたのに、ここに来て、生活の質が急上昇した。

 

とりあえず自慢してみる

この家のお気に入りポイントは、挙げ出したらキリがない。自慢したい、そりゃそうだ。でもイヤらしくない(?)ところから始めるとしたら、これなんじゃないかなあと思った。

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ドレッサー全体像(鏡に映らない苦労の跡が見える画角)

ドレッサーだ。化粧台とか鏡台とかも言う。つまり、バスルームとは別に、身支度を整えるためだけに設けられた機能のことだと思うのだけれど、テンションが上がっちゃうのは、これがマスターベッドルームの中に専用のスペースとして備え付けられていることなのだ。もうその勢いでマスターベッドルームのことを「私の部屋」と呼んじゃってる。お風呂上がりにここに座ってスキンケアをして髪を乾かしたり、大きな鏡を見ながらメイクをしてピアスを選んだりしていたら、もう美意識が上がる以外の結果がない。

 

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一番視界に入るお気に入りコーナー

特にお気に入りなゾーンっていうのも作っていて、自然っぽくていい感じに上品で、見る度に嬉しくなるようにしている。そのポイントになっているのがDAISO商品なのはご愛嬌というところで、でも案外悪くないんじゃない?と自画自賛。夫が使った後に適当に置いていたら(夫の美意識も向上中なのだ)、毎回、ラベルの向きと間隔を調整し直してる。

 

まあ自分以上にはなれない

じゃあついでに、スペースに余裕を持って並べられて嬉しい、思い入れのあるアクセサリー類もお見せしようと思った。やっぱり女性として生きていると、形に残る大切なものはこういう身に付けるものになることが多くて、嬉しいなあと思って。

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想い出と超プチプラ志向が混在するアクセサリー棚

・・・・・・のはずが、よく見直すと、なんだかDAISOかCan Doで選んだ記憶があるものが多すぎて、自分で買ったものは全部、高くて、3COINSか楽天の激安商品。会った人にバレたくはないし、並べて自慢もできない感じのラインナップだった。でもやっぱり、案外悪くない気もしてて、恥じてはいないんだけれど。ただ、美意識が高まって駐在手当てが出たところで、自分自身でこういった部分の「レベル上げ」をしようとはならないんだなと、自分への理解が深まる今日この頃だ。「レベル」が低いままでも十分楽しめちゃうからな。

 

私の見る駐妻と、私の見る私

自慢と自虐はしてみたところで、でも改めて、考えてみたい。だってやっぱり私は、「美意識が上がって美容が趣味になって、いい駐妻ライフを送ってるよ」だけではきっと胸を張れないのだ。誰に対してだろう、自分?社会?わからないのが悲しいけれど、やっぱり、誇れないのだ。

 

私の住んでいるマンションには本当に多くの日本人家族がいて、見聞きする限り、やっぱり”駐妻”のほぼ全ては専業主婦だ。小さな子どものいる家庭がほとんどだという場所的な事情はあるのだけれど、それでも、平日の日中に駐妻さんたちが集まって談笑し、共通の話題は通っているジムか習っているカラーセラピーの話で、週末の日中にも「夫は接待のゴルフがあるから」と女性と子どもだけが集まっているのを見ると、やっぱり、異様さを感じてしまう。

 

もちろん、彼女たち個人への違和感ではない。私が彼氏でしかなかった相手と結婚してまで一緒に来ることを選んだように、子どもや家族の在り方を考え抜いて選び、それでも日々悩みや苦しさも感じながら生活しているのだと思っている。きっと彼女たちのほとんどにも、諦めてきたキャリアや夢があって、その上で家族としての選択をしているのだ。──それでも、この場所で、日本の都会ではもう感じる機会は少ない、「家族の形として唯一の正解」みたいな光景を日々見るのは、とても寂しい。

 

恵まれている、とても。私が休職していても、何も困らない。でも私は、「家族のために全てを捧げる女性」の美徳に憧れたことはないし、私の大切な家族の形を実現するためにそれしか選択肢がない駐妻になったとしても、きっと、子育てと美容だけで数年間を”楽しむ”ことはできないと思う。私の培ってきたキャリアは?習得してきた全てのスキルは?夫より稼ぐ力のある、私という”社会人”の価値は?私は、「仕方がない」の言葉だけで割り切れるほどには、自分以外の何かに身を委ねられる生き方をしてこなかった。

 

この場所にいる自分を後悔したことはないし、ここで家族を増やしたいし、そのためにキャリアの中断をする前提で時間を過ごしている。けれどその時に、「家族への献身」以外に、自分の価値を創ったり感じたりできる自分でいたいと思う。私は、この豪華なドレッサーは満喫するし夫の会社にも甘える”駐妻”だ。その上で、自己肯定感を維持できる”社会人”でありたい。

 

誰か答えを教えて導いてくれたらいいのに。でも残念ながら、私も悩める駐妻であるだけなんだな。

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

「道程」高村光太郎