優等生のふらふら人生録

人生色々あるから、語りたいことも一貫性ないのが悩みなブログ

就活で選ぶこと、選ばれること

今週のお題「試験の思い出」

外コン最終選考の人事面接で落とされた経験について思うこと

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大学卒業に向けてひいひい言いながら卒論を書いていた頃、せっかく計画的にメーカーの内定承諾まで済ませていたくせに、急に外資系コンサル就活をした。結果、現在の会社に入社が決まったわけだけれど、今でもあの就活に関して一番よく思い出すのは、別のある企業から渡された不採用通達の方だ。・・・・・・ちょっと嘘かもしれない、あの時期に迷走していた恋心の方が印象深いかもしれない。それと入社の契約を蹴ったメーカーの人事チームに号泣して謝罪したりもしたな。まあただ、件の不採用も、私にとっては大きな影響を持つ経験だったなと思う。

 

超短期集中型の就活だった

外資系コンサルの就活でよく聞くのはインターン選考だと思うのだけれど、私は海外大学に通っていたのでちょっとずるいパターンだった。具体的にはボストンキャリアフォーラム、通称ボスキャリという場を通しての選考。詳しくはまた改めて書こうと思うけれど、何百という数の企業と何千という学生が3日間一同に会する、大変に効率的でそして熱い戦場だった。私はそこで、外資コンサルティングファームに限定して就活を行った。最終的に3社くらい内定をもらって、その中から戦略コンサルティング職で採用に至ったのだった気がする。効率的だった。ちなみに地球の反対側からわざわざボストンに飛んで就活をした勢いで、その後は北南米バックパッキングをしていたから、チリやペルーから入社書類を郵送したりした。届いてよかった。

 

正直、最後に落とされるパターンはないと思っていた

3日間の就活と言っても、事前に書類選考やWebテストでの選考を行っているところがほとんどだった。そういった選考を通過した企業と、一次面接、二次面接、と予約を入れながら進んでいくわけだ。その中で、有名大手だから、及び既に入社していた友人がいたから、優先的に意識していた一社があった。他の企業は最初に人事面接があったり、面談の中でフェルミ推定などのケース面接を組み込むパターンが多かったのだけれど、その一社は、一次面接も二次面接も、ごりっごりのケース面接のみだった。日本語だったり英語だったりしたのだけれど、それぞれ何十分間も、私のスキルを判断するための場だった。

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ケース面接いっぱいした

二次面接を通過した時点で、この企業の選考は、私にとって自信を与えてくれるものになっていた。ケース面接の経験もほぼない中でテンポよく通過できたこと、面接官にも誉められたこと。最終面接がお偉い人とお喋りするだけだと聞かされた時、正直ほっとした。自分で言うのも本当になんなのって感じなのだけれど、真面目に色々考えていて素直な一方で行動力もある方だから(自己分析がド下手な可能性は一旦無視したい)、人事面接がケース面接の百倍ぐらいは得意なタイプだったのだ。お偉いらしい面接官のおじさんも威圧的な感じではなくて、椅子に着いた時緊張はしていたけれど、今もその流れを覚えている程度には落ち着いていた。よくある今までの経歴を振り返る質問をされ答え、おじさんも目を合わせつつ頷いてメモを取っていた。

 

でも、その質問が来ちゃったんだよな。それ以降面接官の顔が変わったし、私の顔も鼓動も変わったし(壊滅的に演技力がないのが課題なタイプ)、つまり空気が一変した。

 

その質問とは、「なぜ弊社があなたを採用すべきかを教えてください」だった。結論から言うと、私は考えたことがなくて、その場でも思い付かなくて、答えがわからなかったのだ。苦し紛れにいくつか言った気はするけど、私に自信が一切なかったことを向こうに明確に伝えてしまっていることにも、私の言葉が何も響いていないことにも、気づいていた。面接が終わって部屋を出る時、この人は私を選ばなかっただろうと思った。その後面接ブースの外のベンチに座って長い間、合格の通知を待ったけれど、やっぱり何も来なかった。自分に自信がない私、働いている自分を想像できていない私は、要らなかったのだなと思った。

 

選び選ばれるのが就活なのに、なぜ今更悲しかったのか

私は、悲しかった。入社意欲があったわけでもなければ、理不尽な環境で実力を発揮できなかったわけでもない。私も選考を受けながら色んな企業を見て判断していたし、合わないと思って選ばなかったりしていた。そもそも、書類やWeb選考で落ちた企業なんて数知れない。それなのに、この企業に、最終の人事面接で選ばれなかったことが、私は、残念というより悲しかった。

 

この気持ちを例えるならば、告白していないし何なら好きでさえない異性に、勝手にふられたような悲しさ。好きとかじゃないけど一員だと思っていたグループが、知らないうちに私を除いて仲良くなっていたときの悲しさも近いのかな。つまり多分、人としての相手に、自分が一人の人として魅力的に映らなかったことが、人として否定されたような気がしてしまって傷ついたのだ。ただの面接官なのに。経歴も思考能力もスキルも申し分ないのに人として合わないと判断されると、その結果を、必要以上に個人的に受け取ってしまうらしい。

 

例えあの人事面接で内定が出たとしても、私が彼らを選ばなかった可能性も高い。ごりごりケース面接ばかりで会社の魅力もわからなかったし。それでも選考を進んでいる最中はどうしても、自分は”選ばれる側”であるという意識が働いてしまう。効率的で機械的なシステムの中だと尚更に。”選ばれる側”になった途端、自分が弱くなって、相手の判断や評価が自分の価値になってしまう。目の前の顔の見えるおじさんに、リアルタイムでそれをされたことで、私にとっては、トラウマ的な出来事になってしまった。

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失恋に近かった?おじさん趣味じゃないんだけどな

 

今振り返って思うこと

まず、傷つく必要はなかったのにもったいなかったなと思う。でも未だに私は、人、特にコミュニティに選ばれるかどうかで自己肯定感を大きく左右されて勝手に悲しくなりがちだ。改善したい。とりあえず、誰かに「合わないな」と思われただけで自分の価値を見失うのはよろしくなかった。ちなみに面接官のおじさんはいい人だったと思う。部屋を出る前に、「例え今あなたが会社に合わないとしても、それは将来的にもそうだということではないから」というようなフォローをされた(ほんとに落とすこと決めてたんだな)。それをフォローと感じないくらい悲しかった自分が可哀想だなと思う。

 

でも、今でも頻繁にこの出来事を思い出すのは、今も悲しいから、それだけではない気がする。考えちゃうのだ。まず1)「なんだったんだあの選考は」、そして2)「今の私だったらあの質問にどう答えるだろう」ということを。

 

1)正直、最後の最後に人事面接をやることの意味は、よくわからない。性格や人間性の整合を重視して人を選ぶのであれば、それまでの選考の過程でも見るべきだし、そこまで重要ならケース面接の前にやる方がより正しいとも思う。能力・スキルを持った候補者を揃えてから合いそうな性格の人を選ぶという考え方は、ダイバーシティの潮流の逆を行っていてそれでいいのかと言いたくなるし、応募する学生が多いからこそ強い立場に立っている感じが、なんだか嫌な感じだ。

2)「なぜ弊社があなたを採用すべきかを教えてください」。私は就活をする中で、この質問をされたことはなかったけれど、この質問を想定して答えを考えたこともなかったのは、質問をされたことがなかったからじゃない。新卒採用という日本ならではの採用システムの中で、学生の未知のポテンシャルを見極め彼や彼女がその会社で発揮しうる価値を見定めるのは採用担当の仕事であって、学生の仕事は自分の持っているものを伝えることだと信じていたからだ。今転職するなら、自分の使い勝手も自分ならではの新しい価値創出もアピールできる。質問に答えられる。けれどあのボスキャリの面接ブースに戻ったら、私は、正直に「それを考えるのがあなたの仕事ではないのでしょうか」と言ってしまうかもしれないなと思う、今日この頃だ。

 

私は総じて、就職活動が好きだった。自分と向き合えることも、いい大人が私と本気で向き合ってくれることも、楽しかったのだ。その中で、選び選ばれる工程が発生することは、時に辛いし悲しい。でもそれは合う合わないの話であって、決して自分の人間としての魅力や価値を決めるものではないことを、また同じようなことで傷つき続けている今の私にも、改めて伝えてあげたいと思う。