優等生のふらふら人生録

人生色々あるから、語りたいことも一貫性ないのが悩みなブログ

私が15歳で単身留学した理由[高校留学体験記①]

後ろ向きなきっかけ、前向きな決断

私は高校留学の経験者だ。日本の高校生にあたる3年間を海外で暮らし、現地の高校を卒業した、所謂”正規留学”と呼ばれるパターン。色々な背景はあって、けれど希望に満ちた出発に至って、結果、想像もしなかったような人生の実りを得た。本当に大きな実りを、たくさん。その始まりを、語ってみる。

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[高校留学体験記]シリーズ

① 私が15歳で単身留学した理由 ←本投稿
② 私の留学方法と生活
③ 留学生活で楽しかったこと
④ 留学生活で苦しかったこと
⑤ 高校生での留学が意味するもの

 

1. 日本での居場所

いきなりちょっと暗い話からになっちゃうけれど、私は、思春期を苦しんだタイプだ。その中でも特に、私にとって留学に向けたバネになったのは、中学校の大人たちと、そこにある社会の不条理だったと思う。中学1年生で全く違う地域間で転校をしたのだけれど、転入した先の市立中学は、とても田舎で、教師たちの頭が固くて、そして校則が厳しい場所だった。

 

厳しいと言えば聞こえはいいけれど、正しく言うと理不尽だった。それらの校則によって教師が生徒の”上”に立つ人間であることを強調し、右手を挙げろと命令したらそれに従うロボットになることを要求する学校。「この目的はお前たちが”親に迷惑をかけない良い進路に行けるよう躾をすること”だ」と公言する教師たちも、その在り方に裏で不満は言いつつ表では”賢く”言うことを聞く同級生たちも、そして内申点を気にして結局反抗するという選択肢は持たない”優等生”な自分も、全てが嫌だった。その環境に居場所がなかった私は、卒業したら絶対にこの土地を捨てようと思って、文字通り全国の高校を対象に調べたり訪問したりした。

 

けれど、自分の中で、結局どこを選んでも同じなんじゃないかという拭えない違和感が、日増しに大きくなった。どの学校にだって校則はある。生徒と向き合わない教師もきっといる。そして何より、どこの学校も、進路と言う名の決まったレールを敷いて見せてくる。良い高校から良い大学、良い将来。気付いちゃったのだ。自分が何かの枠を感じる限り、私はきっとそれに抗いながらも囚われ続け、自分の嫌いな”優等生”であり続けるのだろうと。そしてその枠は、描かれるレールは、私の幸せを願うと謳う、日本社会の不条理だと思った。その先に見える自分の将来が、14歳の私には、輝いて映らなかった。勉強にも身が入らなかった。

 

2. 沸き上がった希望と期待

私を救ったのは、”日本の外”という選択肢を知っていたことだと思う。きっかけは、中学2年の夏休みを前に、学校で配られた「オーストラリア ホームステイ体験」のチラシ。普段なら即ゴミ箱行きの一枚の紙を何でだか捨てられなくて、自分を騙しだまし行ってみた説明会後には高ぶる気持ちが抑えられなくて、夏、2週間の現地学校とホームステイ体験プログラムに参加した。初めての海外でもちろん刺激は多かったのだけれど、一番強烈に印象に残ったのは、「同じ”学校”なのにこんなに違うの?」という現地学校への驚き。驚きというかもう衝撃。青い空の下、広い敷地で、色んな見た目の生徒たちが、自由に学んで遊んで食べて笑って。私の知っている”学校”ではなくて、日本に帰ってからも、オーストラリアの同い年の彼らが、羨ましくて仕方なかった。

 

日本のどこで高校に行っても結局同じだと気付いた私の脳裏には、徐々に、あの夏に見た”外国の学校”が浮かぶようになっていった。もし、あそこに通えるなら?もし、あんな学校が私の場所になるのなら?日本のしがらみを、枠を、自分から脱ぎ捨てて、あんなに広い場所に飛んで行けるのなら?・・・・・・憧れが、妄想が、止まらなかった。

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3. 背中を押してくれた存在

けれど、すぐに「じゃあ高校は留学しよう」と決められたわけではない。と言うよりも、妄想してしまった夢物語だと信じようとしていた。お金が、かかるのだ。留学って。貧乏ではないけれど常に節約しながら生きてきて決して裕福とは言えない親に、その負担をかけるという選択肢が、自分にはない気がした。

 

なのに、母親ってすごい。見透かしちゃう。行きたいんじゃないの?忘れられるの?そしてお金を理由にしてるなら、そんな逃げ方はするな。こういう時のために貯めてきたんだし、例え足りなくなっても、子どものためなら借金することもいとわない。親の金を言い訳にするな。──厳しく温かく諭されて、ハッとした。

 

お金が一番の理由だったことは事実だと思う。家計の状況なんて知らない中、ネットで出てくる額は桁が大きすぎた。でも私は、根っからの心配性でネガティブ思考で結局やっぱり優等生で、新しすぎる一歩を自分自身が怖がってたのも事実だと思った。海外経験も英会話を習ったことさえないのに無茶。私は海外に飛び出す力なんて実際持ってない。日本のレールを外れて将来も見えなくなって路上に迷うかも。そもそも馴染めなくて辛くてすぐ帰ってくるかも。いくらでも不安は挙げられた。

 

母に諭されて背中を押されて、もう、無視なんてできなくなった。日本を飛び出したい気持ち。海外で暮らして現地で高校生になることへの憧れ。日本の高校をどれだけ見ても感じなかった高揚感が、むくむくと育ち続けた。不安はある。怖い。自信なんてゼロ。でも、挑戦しない理由がないと思った。日本のレールでだって、きっと私は幸せを感じはしないんだから。

 

4. 15歳で留学することのリスク

私の抱えていた不安は、正しくもあったと思う。日本でだったら一定約束されていたり”楽”だったりする道ではないこと。必要な言語を話せるようになる保証なんてないこと。一人で苦しんで、結局諦めるしかない可能性だってあること。やっぱりこれは”挑戦”だから、表裏になるリスクはある。それを無視して勢いだけで行くと危なかったと思う。

 

私と親に必要だったのは、覚悟だった。辛いかもしれない。帰って来るしかないかもしれない。将来に繋がるかなんてわからない。私がいない間に日本が沈没するかもしれない。本当に色んな話をした。その上で、私自身が強い意思を持っていること、覚悟があること、そして、”将来”のためではなく”今”の自分のためと割り切って挑戦することを、確認し合った。親にはそれでも怖い一歩だったと思うけれど、改めて背中を押してもらった。

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ずっと良かった成績や内申点、友だちを全て置いて去ることに、未練がなかったと言えば嘘になる。でもそれを要らないと決められた時が、人生で一番気持ち良かった。縛られていた枠を自分で壊して、その先に見えた世界は、まだ同じ場所だったのに違う色に見えた。列席を拒否した卒業式の日、空が本当に美しかった。

 

そして春、ニュージーランドに飛んだ(オーストラリアじゃないのだ)。その詳細は次回以降語りたい。

 

[高校留学体験記]シリーズ

① 私が15歳で単身留学した理由 ←本投稿
② 私の留学方法と生活

③ 留学生活で楽しかったこと
④ 留学生活で苦しかったこと
⑤ 高校生での留学が意味するもの

 

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(参考)私の過去全体を通したふらふら感について↓